二月(2020)のトップページ画像を描きました。

はい、昨年末からバタバタバタバタしておりますよ。
そのくせ、写真撮りたいから撮影には行く、というリズムを無理矢理ね、ねじ込んでおりますよ。
移動に時間がかかるし、撮影も時間かかる、時間がいくらあっても足らないです。
車で走っていると、あー、今の撮りたい、って思うこともしばしば、
これは折り畳み自転車が必要だな、と思って交渉したところ、使っていないのがあるから持って来る、との事。
やった!
これで、大幅に便利になりました。
bicycle
乗り慣れていないので、ゆらゆらゆらゆら、よたよたよたよたしていますけどもね。笑
新しいカメラは買ってもらいました。
これ、以前の記事で書いたんですけど、会社所有の記録用カメラに黒い斑点がいっぱい載るようになってしまって・・・
コンデジと言われる小さいカメラが別にあるのですが、色トビが凄いんですよね、古いカメラだし。
他のスタッフはスマホのカメラで十分と言うんですけども、やはり花の写真などこだわって撮っているつもりなので、カメラが消えていくのは残念と思っていたところ、買っても良いとの声がかかり、よし、やった!と。
重くてプロ仕様のカメラだったのですが、コンパクトで軽く便利なサイズになりました。
eos_m
ファインダーを覗いた時に、表示される画面が小さいのが難点ですが、物凄く画像が綺麗です。

さて、と、
二月のトップページ画像の話をします。
実は、2月3日の今日、朝完成させました。描こう描こうと思っている二月の絵案はあるのです。
一年越しで遂に描けるかな、と思っているとこのような状況でしょう・・・描けないのですよ。
その上、違うのを描くとしたら何を描けば良いのやら??で。
新年始まってすぐから考えておったのですが、何も決まらない。で、結局子供が持ち帰った節分の工作に貼り付いていたシール・・・コレダ!と思いましたよね。
はい、そっくりそのまま戴きました。
とは言っても、アレンジはしておりますので、全部丸ごと戴いた訳ではないのです、ただまぁ、パクリとは言われるレベルでしょうね・・・
お恥ずかしい・・・
でも、ま、2020年からのホームページ背景と相まって、ナカナカの仕上がりではないか、と思います。(自己フォロー)
大豆の大小や方向など、微調整を入れたかったのですが、今回はこれでいきます。

さてさて、と、
毎年二月恒例の「ジャネーの法則」に関する話、今年もやりましょうか。

私自身、毎月毎月、早い早い言ってて、それだけじゃ何の進歩も無いなぁ、と思って。
じゃ、どうしたら早くなくなるんですか?という事を考えるようになりました。
そうですね、例えば、
与えられた仕事が時間内にできないくらいの量、それなのにさらにそこに仕事を追加され、うわー!ってやってたら時間内にすべて終わったどころか10分余りました、
これ、思ってたよりも時間の経過が遅かった、という事ですよね?

では、がむしゃらに動いたら時間の流れが遅くなるのか?
そうではないですね、例えば、何も無い部屋に放り込まれ、自分の好きでは無い番組だけしか見たらダメって言われてて、でもテレビ見る以外したらダメと言われた、寝てもダメ、
これも一日が終わらないでしょう。

まぁ、これは一種の錯覚のような話で、論点がそもそも違うので、ね、分かる人には分かるでしょうけど。

考えるに、
個人個人の「時間」っていうのが、生きるのが長くなるとそれぞれ設定されるのだろうという仮説を立てました。
小さい頃は時間感覚が弱く、1時間っていうのが3時間の感覚、あやふやである仮定ならば逆のパターン30分の感覚ですが、そうではなくて初期設定は「長い」なのです。笑
長い感覚が、年齢と共にキッチリになり、それがやがて30分になる。これで説明がつきます。
つまり子供の頃は1時間が3時間の感覚だったのが、19歳で1時間ジャストになり60代で30分になる。反比例のグラフです。
計算合ってないな、えと、0歳から19歳までが人生の半分、20歳から80歳までが人生の半分という事は、0歳時の3時間を固定すると20歳以降は1時間が7.5分に向かって下降するのか。
あ、でも徐々になのでこれも正確な計算ではないですね。まぁ、ざっとそんな事が言いたいというニュアンスが伝われば。

というのを朧に考えていた頃に、また新たな説に出会いました。
時間の流れという物はそもそも存在しておらず、過去というのは無く現在と未来しか無い、といったような説。
過去というのは人の脳が記憶しているだけの曖昧な存在で、5分前に作られた世の中を100万年前と勝手に想像している、可能性がある、とか。
物理学的ではなくて、哲学的理論、になるのかな?

うーん、そうですね、完全否定はできませんが、やはり私は存在していると思うのです。
ただ、時系列に乱れが生じる事がありますよね、例えば、1年前の出来事だと思ってたのに既に9年前、とか、
あれやってこれやってこうなった、の順番が他人によると、これやってあれやってこうなった、でしょだとか。
結局、記憶と時間というのは密接な関係があって、
いろいろな説をひっくるめて私はこう思うのです。
時間の流れはあるが、それは人それぞれ違う。
説明、できないや。笑

そうですね、何と言うか・・・1時間という定義、それは1時間がこの世に存在しており、皆が同じ1時間を過ごしている、ここまではニュートンと同じです。
ただし、人それぞれの1時間が違っており、その間に10の事ができる人が居れば、1の事しかできない人も居る、そして流れる感覚も十人十色だが到達するポイントは60分後なのだ。
えーと・・・伝わらないかなぁ。
はい、じゃそうですね、60分後に周防大島から岩国に到着していなければならないとします。(あ・・・地名の話ですね、有名な錦帯橋のある岩国が良いか、と。)
Aさんは車で行きますので運転だけしてたらちょうど60分後に岩国でした。
Bさんは船でショートカットするので余裕があります、途中でご飯を食べて岩国に行きました。
Cさんは光速で移動できます、ですから、錦帯橋を観光して、ご飯も食べて岩国に着きました。
Dさんは瞬間移動ができるので2秒後に岩国でしたが、何も興味が無いので岩国でボーっと海を見ていました。
これが場所ではなくて、時間ポイントとして60分後というのが設定されていて、その間にそれぞれが思い思いに動き回るのです。
どうでしょうか、時間に関しての正しい解説っぽいですよね。

じゃ、どうやったら1時間が早くなくなるのか?
そこを答えないと終われないですよね。
正解は、・・・
意外にも簡単です。
どこでもドアが発明される、です。
はい、オチがついたところで、こんなものでいかがでしょうかしら?